1981年舳倉島発信-舳倉診療所勤務時
「朝日ジャーナル」 1981年9月11日号104ページ に掲載された全文です。25年前の発信です。
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山村敏明 (石川県舳倉島)
立ち遅れた離島医療の一石に
能登半島沖 50キロの海上にある舳倉島は、海女の島として知られている。約200年前、加賀藩が九州から海女を招き、献上品としてアワビを獲らせるために島に住まわせた、という説が有力だが、千年も前から人が住んでいたことを裏づける史料もある。
初めは夏場だけ島に渡って生活していたが、近年、島の周辺が全国でも有数の漁場であることが知られて、一年中、島で生活する人も増えてきた。
昭和30年ごろ、初めて医師が島に常駐するようになった。それまでは、漁船で輪島まで4、5時間かけて病院に通った。特に冬は、シケが続くと一カ月以上も定期便が通わない日があっただけに、島の人たちの喜びは大変なものだったそうだ。以降、全国の僻地医療と同様に、島の医療を支えてきたのは高齢な医師だった。
その医師も一昨年、病気のためやめて、”無医島"状態になった。ちょうどそのころ、僻地医療充実を目的につくられた自治医科大学で一期生が卒業、島の要請で、昨年4月、自治医大出身の医師が派遣され、以後、私を含めて同大学出身者に島の医療は委ねられた。
1年目は、レンドケン装置、検査機器などが導入され、これまで輪島まで船を走らせていた病気の多くが、島で診断、治療されるようになった。しかし、一方で、診療、検査、調剤などをすべて一人の医師が行わなければならないばかりか、島の人の生活に合わせた診療が必要なため、24時間診療という状態が当たりまえになっている。それだけに、体力のある若い医師でなければ務まらない状況をみせている。
舳倉島は、石川県唯一の離島のため、島の医療に対する行政上の立ち遅れは歴然としていた。それは、一人の医師が常駐すればすべてよし、といった安易な考えが主流を占めていたことにも表れている。たしかに、経験豊かで、島に長く居てくれ、いつでも気軽に診療を頼める医師を望むのはわかる。しかし、島の人のニーズはそれだけにとどまらず、歯の治療、井戸水や水道などの水質検査など、生活に直結する保健衛生面にまで広がる。そのうえ、海女さんの職業病ともいうべき耳や内科系の疾患についても、どうすれば少なくなるかという切実な問題も多い。
そうした要求は、僻地医療では避けて通れないことと思う。そこで、私は島の人に、診療所のあり方、保健衛生、医療面の疑問、要望などアンケート調査をした。さらに、輪島市や保健所、金沢大学から講師を招き、座談会を開いた。「島の飲料水」「海女の病気」「虫歯の予防」の各テーマに、島の人たちから率直で、活発な質問が出た。座談会での回答は、島内放送で、島中に流された。たとえば、海女の潜水に伴う内耳系の障害や、潜水病発生に対する予防策は、海面上にいる時間をできるだけ長くすること、などである。さらに、来年度から、歯科医の巡回診療や耳鼻科専門医による治療が、集中的に行われる方向で話が進んでいる。
それにしても、一年か半年交代のわれわれの赴任期間について、短すぎると残念がってくれる島の人たちも、若い医師だから島にいて勉強が遅れるのはかわいそうだ、とも心を配ってくれる。本当にありがたい。医師の側からみれば、島での生活は、人々と心の底から話し合え、医療の本来的なあり方を探る格好の機会でもある。その点で、短期間であっても、若い医師にとって、研究や勉学以上に有意義で、貴重な体験を与えてくれる場であり、時間であると思う。
われわれの赴任期間は短く、島の人にとって落ち着かないものだとは思う。しかし、慢性疾患の経過観察がマンネリ化しないためには、新しい医師が、患者の全身のチェックを改めてやり直すのも有意義なことだ、と現時点では考えていきたい。
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